勝峰山

山桜の大木が隊列


武蔵名勝図絵に「この山の登りは十五町許なり。麓より十町許を登りて、山の中腹に古池の跡あり、いまは水涸れてなし。又、五町ばかり登りて、凡そ十間四方許の平地あり。少し下りて、その西に長さ三町許、幅四、五間の馬場の如きところあり。ここを早道場と云。・・・この山の高きこと、凡そ五十丈許なり。」。
 平将門伝説セメントの歴史、見事な山桜の大木すばらしい展望の山です。  山登りはすべて自己責任でお願いします

勝峰山 (454.3m)

将門の武士たちが隊列を組んだような見事な山桜の大木が並んでいる

入山案内(散策マップ参照)



・武蔵五日市駅からつるつる温泉行きバスで、岩井橋バス停で下車して、岩井橋を渡り川沿えの林道から登れます。

※林道は林務作業道として作られています。一般道のような安全対策はされていませんので、通行する場合は自己責任で細心の注意を払ってください。
※太平洋マテリアル(株)は通り抜け禁止

・武蔵五日市駅から福生駅行きで、大久野中学校バス停で下車して、幸神を通っても登れます。

・勝峰山~日の出山へはロンデン尾根を通って行けますが、細心の注意が必要です。途中からの下山路は不明確で危険な箇所があります。  (ガイドと一緒の登山をお勧めします)

 勝峰神社より ミミガタテナンショウ サクラとヤマブキ 展望 秋留台地方面
 雪の残る血の池スカイツリーと都心方面 頂上・榛名山神社

 
  鈴が石
 むかし、勝峰山の頂近くに「血の池」と呼ばれる池があった。その縁には、直径30センチほどの丸形の石があり、これを鈴が石といった。別名「鈴が御前石」ともいわれ、将門愛妾の名前にちなんだものであるという。
 また、その子どもに桔梗姫がいて、その石は姫の「お手玉」になったといわれている。
 血の池の底にころげ落ちても、いつの間にか元の場所に戻ってしまうといわれている。

「日の出町の昔ばなし」より   平将門伝説

 将門の軍が相模原方面から、藤原秀郷の軍に追われて北上し、大久野の勝峰山に一夜城を築いて籠もったのは、暮れも押し詰まった12月の半ばであった。
 追っ手の大将、秀郷の軍は総勢3000人。その一部が幸神に陣を取り、はるか勝峰山の将門軍約400人に対峙した。
 天慶3年、屠蘇の香も消えやらぬ正月7日、秀郷軍は武将菅口六郎を先発隊に、向山より攻めのぼった。すると、将門軍はいっきに迎えてうって出た。ことに将門はならぶものなき大力の持ち主であったので、1丈(約3m)もの金棒を振りまわして奮闘した。
  戦いは激烈をきわめ、勝敗もつかぬまま夕方となり、両軍は小休止をはじめた。
 いっぽう、戦いのようすを藤太橋(藤原秀郷の陣地のあったあたり)からながめていた秀郷は、ややいらだちはじめた。
 すると、そのときのことである。馬に跨がった大将らしい者の姿が、茜空にくっきりと浮かびあがったではないか。
「将門にまちがいなし」とにらんだ秀郷は、ここぞとばかり、そばに生えていた欅の木に弦を張り強弓を作って、従者数十人に引きしぼらせた。そして、将門めがけてヒョーと放つと、矢はぐんぐんと延び、将門の鎧の袖をかすめて、向こう側の谷へと消えていった。
 さすが、将門も衆寡敵せずとさとり、せまりくる宵闇を幸いに、風穴洞を抜けて山を降り、将門坂を越えて、青梅方面へと逃れていった。そして、金剛寺に立ち寄り梅の一枝を地にさして、「わが事成るなら、この梅栄えよ。成らぬなら枯れよ」と祈願したという。